アイドルって現代の宗教だと思う。

どーも、ライターのはなまるです。アイドルってね、現代の宗教なんですよ。俺はこれが言いたい。

仏教、キリスト教、イスラム教、その他様々な宗教が世界にはある。正直どれも信じてない。いや、日本人は無意識に汎神論的な考え方をするからそう言う意味では神道的な考え方には近いのかもしれない。でも確実に言える。俺は「アイドルという名の宗教」を信仰していると。

握手券と言う名の免罪符

握手をするためだけに、金を払って握手券を買う。これどっかで見たことあるよ。あれだよね、免罪符のそれじゃねえのかよ。中世ヨーロッパを思い出す。金を出して免罪符と呼ばれる札なのか紙なのか知らないがそれを買うと、罪が赦されるらしい。360度どの視点から見ても、教会側が金欲しさに作り出したトンデモ、インチキ商品であることは誰の目にも明らかだ。それでも昔の愚かさに手足が生えたようなヨーロッパ人は「すげえよ!これ!罪が許されるんだぜ!」と無邪気な笑みを見せながら免罪符売り場へウッキウキで向かったに違いない。

現代の免罪符:握手券

さて、現代免罪符こと「握手券」こちらを考えてみよう。
勉強と部活に追われ、ろくに恋愛することもできない男子中学生、男子高校生、男子大学生。
社畜としての日々に追われ、上司からはパワハラ、部下からはタメ口、家族からはシカト、という3連続コンボを毎日のように受け、まさに職業:社会の歯車兼サンドバッグになってしまっている社会人。
そんな彼らを救ってくれるのが「握手会」なのだ。握手会会場はまさに彼らにとってのサンクチュアリ、聖域なのだ。まさにそんな社畜たちのためのアンフィールドなのだ。
日頃の日常生活ではエンカウントすることができない、まさにラティアス、ラティオス並みのエンカウントのしにくさの可愛い女の子たちが笑顔で迎えてくれる、さらに言えば握手までしてくれる。世の中が自分の思い通りに進んでいない者たちにとって握手会とはまさにヴァルハラなのだ。天国は素晴らしいところなのだ。なぜなら誰も帰ってきていないから。俺はこんなに可愛い女の子に握手をしてもらえた、こんなに可愛い女の子に甘い言葉をかけてもらえたetc。そのような経験をすることで、面倒で、退屈で、屈辱的な日常を乗り越えることができるのだ。

それで、お前らの生活は変わったのか。

そう。変わってしまうのだ。日頃からパワハラを受け、シカトされ、勉強勉強と親からはガミガミ言われる。そんなただ辛いだけの人生を変えるために、否、そんな辛い現実から目を逸らし、目を瞑り、逃げ出すためにアイドルにすがるのだ。結婚すると仕事にやりがいが出ると言う。恋人ができるとがんばれると言う。そんな話はあだち充の漫画の中だけだと思っていた。だが、そんなことはないのだ。

握手会があるからがんばろう。僕たちは彼女たちが追いかけている夢を応援しているんだ。そう、考えることで普段のクソほどつまらない日常生活に意味を見出す。バイト代と仕送り代のほとんどを握手券代に溶かし、仕事で稼いだ給料、ボーナスも同様に溶ける。そのように金を使うことで満たされるのだ。素晴らしい。実に素晴らしいことだ。現代日本では宗教の影響力が少ないと言われているが、どうだろうか。宗教の形そのものではないだろうか。先ほど挙げた免罪符の話と本質はほとんど同じではないだろうか。

イエスキリストは悲壮感が漂い、絶望に覆われた世界に希望を見せた。それ自体は素晴らしいことなのだ。イエスキリストは本当に心の底から人民の幸せを願っていたのだろう。そうでもなければ、楽園である天国からわざわざ復活してこの世に戻ってこようなどとは思わないはずだ。

アイドルを応援するということの本質も素晴らしいことなのだ。一生懸命に自分の夢を叶えるために活動する儚げな美少女たちを応援することは実に素晴らしいことだ。親が自分の子供の夢を応援するのとなんら変わりはない。無償の愛だ。アガペーだ。

なぜ現代の宗教たりえるのか。金なんだよ。

だが、アイドルが現代の宗教たる所以は「金」が絡むことだ。
先ほどの免罪符の話に戻ろう。要は金さえ払ってくれれば、罪を赦してやろうというものだ。毎日ジャーマンポテトを食べ続けたことで頭の中身までホクホクのジャーマンポテトになったドイツの国民はこぞってこれを買った。別にこれを悪いと言いたいわけじゃない。

課金型のサブスクリプションモデルというやつだ。課金サービスをユーザーから掠め取り利益を上げる。今のパズドラ、モンストなどのアプリにも利用されている素晴らしいビジネスモデルのパイオニアと言える。当時の宗教の影響力はとてつもなかった。まさに国民全員がパズドラをやっていたようなものだったのだ。「魔法石100個買ってくれれば、1週間休みです」と言われたようなものだろう。雨は神様の涙、雷は神様の怒りなどという、現代では考えられない考え方が闊歩していたのだ。泣きながら怒るなんてなんとも情緒不安定な神様なのだろうか。

握手券と言う名の免罪符と同一のシステム

さあ、話を握手会に戻そう。金を払えば握手させてやるよ。こういうことだ。1回約1500円の握手。まさしく現代の免罪符。秋元康と言う名の歴史に残る法王の素晴らしい施策だ。普通に考えれば、1回の握手1500円なんて論外だ。例えば、俺が渋谷駅の前で「1回握手1500円」というプラカードを片手に歩き回ったところでせいぜい、居酒屋のキャッチに捕まり仲良くなる、女子大生にインスタに晒される、ハチ公前の交番に連れていかれる、確実にこのどれかに当てはまることだろう。
それでも人は握手券を買うのだ。なぜなら、日頃のつまらない人生の鬱憤ばらしができるから。この券を買うことで一時的に自分が幸せな気持ちを味わえるから買うのだ。こういうことを言うと、「純粋に私はアイドルを応援してるんだ」などと言ってくる輩がいる。バカか。アイドルが純粋に夢を追いかけていると本気で思っているのか?アイドルの彼氏がいないという発言は、金正恩がミサイル持っていないと言っているのと同じだと思え。

アイドル「彼氏いません」=金正恩「ミサイル持ってません」


いや、失礼した。本当に夢を自分の目標を追いかけているアイドルもいるだろう。そのために、恋愛も禁止して、自分のスキルアップのためにロック・リーのように血の滲むような努力を積み重ねているアイドルがいるかもしれない。そんなものはごく一部だ。そんなアイドルはきらりんレボリューションの中にしか存在しない。芸能人と付き合いたい、可愛い自分を見て欲しいせいぜいそんなところだ。
就職活動の面接と一緒なのだ。なぜこの会社なのですかと聞いて「給料がいいんで」などと答えるのはよほどの正直者か、もっといい会社に内定をもらっているやつぐらいだ。なんでアイドルになったかを聞いて「ジャニーズと付き合いたいから」などと答えるやつはいない。「歌手になりたい、女優になりたい」こう答えるのだ無難だ。就職活動ではそれを信じないくせに、アイドルが言うと途端に信じる。実に滑稽な話だ。

ビジネス的な視点で見れば、握手券付きCDは天才的な発想


先ほども言ったが、別に秋元康はじめ、48グループ、坂道グループなどのアイドルグループのやり方を非難しているわけじゃない。要は切り取り方、視点の置き方の違いだ。

ビジネスの視点で見れば、秋元康の握手券付きのCDの販売は革命的だった。もはや現代ではCDに握手券が付いているのか、握手券のおまけがCDなのか分からなくなっている。つまらない生活を送っている人たちに向けて、「会いに行けるアイドル」という形を作り上げ、可愛い女の子を長時間拘束でデカイ箱の中に配置し、握手をさせるだけで1500円×100万以上の売り上げをあげている。

マルチにも通ずるアイドル商法

さらにアイドル商法のすごいところは、自動でファンが増えていくところだ。いわゆる、マルチ商法、ネズミ講と呼ばれるものに近い。人が人を呼ぶ、ファンがファンを呼ぶのだ。世の中の大半の人間は宗教勧誘が来ると気味が悪いと思い拒否反応を示す。もちろん、これは日本での宗教のイメージが地下鉄でサリンを巻いたり、空中浮遊ができたりとあまり良いイメージがないということも原因として考えられる。

だがどうだろうか。親しい友人が「この子かわいいよ!」「このMV見てみてよ!」などと言ってきたどうだろうか。「アイドルの勧誘お断りなんで」などと言うだろうか。ファンがファンを勝手に増やしていってくれるのだ。マルチ商法といえば聞こえが悪いが、アイドルを紹介しようとするファンに悪意があるわけではない。本当に良いと思ってアイドルを紹介しているのだ。結局のところアイドルというものにすがることで辛い日常を忘れることができる人たちが多いのだ。

「応援している」と言う名の洗脳

さらに凄いのは、「応援したい」と思わせていることだ。アイドルオタクたちは自分はこの子と一緒に夢を追いかけているんだ、この子のためになっているんだ。というまさに洗脳とも言えるマインドセットになっていることだろう。それを引き起こさせているのだ。推しの序列が上がると嬉しい、写真集を出すと嬉しい、だからもっと応援しないとと思わせる。だからもっと金を出す。
さらにその「応援している」という気持ちは「金をむしり取られている」という感覚を上手く覆い隠す。別に運営に払っているんじゃない。あの子のために払っているんだ。そう思わせることができる。このプロセスを経れば、無事に敬虔なアイドル教の教徒のできあがりだ。握手会には、たとえ真夏のクソ暑かろうが、雨が降ろうが槍が降ろうが毎回参加する。ライブは東北の田舎であろうとアマゾンの僻地であろうと全参だ。グッズを出せば、そんなに買って拭くところあるのかと思うほどのタオルを買い、指の間だけでなく、ズボンにもぶら下がる無数のペンライトを持つことになる。CDを出せば、推しの生写真が出るまで買い続け、挙げ句の果てにはセカンドマーケット(メルカリなど)に買いに行く猛者まで出てくる。

敬虔なアイドル教の信徒

まさしく敬虔な信徒だ。教会が戦えといえば理由も聞かず戦う。全くもって同じだ。アイドルはまさに現代の宗教なのだ。神(推し)を信じ、応援することはいい。だが神と教会(運営)は異なるものだ。キリスト教では神が人を作り出したことになっているらしい。神と呼ばれる存在は確かにいるのかもしれない。だがしかし、「推し」という名の「神」は「運営」が作りだしたものだ。そこは区別するべきだ。

推しの言葉すべてが本心かどうかなんてことは分からない。これこそまさに「神のみぞ知る」と言ったところだ。NGTの山口真帆の件があるが、彼女の最初の告発はすべて彼女の本心だと信じたにも関わらず、彼女が秋元康を擁護するとそれは運営に言わされたことだとして非難した愚かしさも極まったオタクがいた。

矛盾している。

信じるのは神(推し)ではなかったのか。それなら最初から最後まで彼女を信じ抜け。彼女が秋元康を擁護したなら、それが彼女の本心だとそう思え。アイドル教の信者とはそういうものだ。

ま、色々書いたけど俺はアイドルという宗教にどっぷり浸かった敬虔なアイドル教の信徒なんで、メンバーが白と言ったら黒も白です。