Warning: Invalid argument supplied for foreach() in /home/korebuzz/korebuzz.com/public_html/wp-content/plugins/wordpress-23-related-posts-plugin/init.php on line 380
ryu’sへようこそ…オーナーのryuです。
映画って憧れですよね。僕は昔から映画が好きで、映画からたくさんのことを学びました。それは教科書みたいに堅苦しくなく、名言みたいに押しつけがましくない、ただ自分が憧れて真似をするものなのです。
少し前に「大切なことは漫画から教わった」というツイートがありましたが、僕にとってはそれが映画でした。
#平成最後に自分の代表作を貼る
— いまむー (@tomoyanandayo) 2019年3月31日
大切なことは漫画から教わったファンアートです!!(少し加筆しました) pic.twitter.com/6OmaEGumEt
以前紹介した「ブリリアショートショートシアターオンライン」、みなさん見てくださっているでしょうか。
その中の記事に『ラ・ラ・ランド』をファッションで読み解く記事があったのですが、こんな記事をもっと読みたいと純粋に思って、ryu’sで書いてみることにしました。
大切なことは映画から学んだシリーズ第一弾、『はじまりのうた』からファッションとアイデンティティの関係性の話。
『はじまりのうた』
『はじまりのうた』(原題: Begin Again)はシンガーソングライターを演じるキーラ・ナイトレイと、音楽プロデューサーを演じるマーク・ラファロが失意の中で出会う話です。監督は『ONCE ダブリンの街角で』、『シングストリート』等で有名なジョン・カーニー。”Maroon 5″のVo.アダム・レヴィーンがキーラの彼氏の売れっ子ミュージシャンとして出演したことでも話題になりました。
ジョン・カーニーの男女の距離感は絶妙なんですよ。男と女であることは間違いなくて、お互いに心から大切だと分かっているけれど、安易に結ばれない。キスもセックスもしない。
彼の作品は男女の在り方を学べる作品ばかりなのですが、今回はあえてファッションに注目してみます。
ファッションとは
「ブリリア」の記事を引用するならば、
ファッションは「ああなりたい」から始まるもの
ファッションとは、あながた「夢を掴む原動力」にも成り得ます。
そしてその「夢を掴んだ証」であり、その過程で努力した「自分へのご褒美」
僕も同じように考えています。ファッションとアイデンティティの関係性は強く、なりたい自分になるために服を着る。
大人っぽく、格好良くなるためにシャツを着てジャケットを羽織る人もいるでしょう。
若々しく、遊び心を忘れないためにアメカジファッションを身にまとう人もいるでしょう。
それでは、ひとつ質問です。なりたい自分とは不変的なものでしょうか。
きっと違いますよね。夢はコロコロ変わるし、1つの目標に突き進んでいる時だって隣の芝生は青く見える。真逆の誰かに憧れることもあるでしょう。生き続けていく限り、なりたい自分は不意に変わるものです。
逆説的に、ファッションが変わった時、その人のなりたい自分が変わった瞬間があるのだと考えられます。
現実で考えるとあまりに極論と思うかもしれませんが、映画の中ではそれが描かれています。
『はじまりのうた』をファッションで読み解く
『はじまりのうた』でキーラ・ナイトレイ演じるグレタは2つの姿を持つ女性です。
- シンガーソングライター
- 1人の女性
彼女は”シンガーソングライター”として優れた楽曲を多く作っており、そのクオリティは彼氏のデイヴや音楽プロデューサーのダンも認めています。
しかし、ライブハウスでソロ演奏をしても客の反応は悪く、デイヴが一般人やプロデューサーに”シンガーソングライター”として紹介しても認めてくれません。
“シンガーソングライター”でありたい時、グレタは常にパンツスタイルの服を着ています。
ダンにも「君は美人だ」「その男の子みたいな恰好は時代遅れだ、雰囲気を変えて」と指摘されているように、グレタがスターになりたければ着るべき服はカーディガンやスカート、ワンピースのような女性的な服。
しかし、グレタはそれを拒み、”シンガーソングライター”でありたい時にはパンツスタイルを着続けます。
グレタにとって”シンガーソングライター”=”パンツスタイル”なのです。
そんなグレタも映画内で何度かワンピースを着ています。
具体的に挙げると、以下の6シーンになります。
- デイヴとともにプロデューサーたちと初めて顔を合わせるシーン
- デイヴのアルバム制作中にスティーヴへ会いに行くシーン
- ダンと2人で夜の街を音楽を聴きながら歩くシーン
- デイヴの留守番電話に音楽を残すシーン
- デイヴと再会するシーン
- ラストでダンに会いに来るシーン
彼女が”1人の女性”である時、グレタは”ワンピース”を着ています。
“シンガーソングライター”でいられない時、女性としての自分が強く出る時、彼女はワンピースを着ています。
特筆すべきは「4. デイヴの留守番電話に音楽を残すシーン」、グレタは「Like A Fool」という、デイヴへの曲を歌います。
グレタはこのシーンで初めて”ワンピース”で歌を歌います。つまりこの時、グレタは”シンガーソングライター”ではなく”1人の女性”として歌を歌ったのです。
このシーンはラストのグレタの決断にも関わる重要な伏線になっています。
グレタの決断、「Lost Stars」の意味
映画のラストでデイヴが歌う「Lost Stars」、彼はグレタとの約束通りバラードとしてこの曲を歌います。それにも関わらず、グレタは曲の途中で帰ってしまい、「6. ラストでダンに会いに来るシーン」でプロデビューをやめる決断をします。
“シンガーソングライター”になりたかった彼女は、”パンツスタイル”を着ていた。しかし、大観衆の前で「Lost Stars」を歌い、客全員に受け入れられるデイヴを見て、自分は”シンガーソングライター”にはなれないと悟ります。
“シンガーソングライター”にはなれないと悟った彼女はプロデビューをやめる決断を伝えに来ますが、その時彼女は”ワンピース”を着ているのです。
“シンガーソングライター”に憧れた彼女は、その憧れと決別し、”パンツスタイル”ではなく”ワンピース”を着た。「Lost Stars」という曲は、スターであるデイヴを失ったという意味と、スター=”シンガーソングライター”への憧れとの決別という2つの意味がある曲です。
憧れと決別したグレタの顔は不思議と晴れやかな顔をしています。なりたい自分になることが幸せなわけでも、憧れと決別することが不幸なわけでもない。
大切なことは、ありのままの自分を受け入れることであり、それこそが自分に似合うファッション、自分のアイデンティティなのです。
今、あなたはどんな服を着ているでしょうか。その服を着ている時、あなたは満たされているでしょうか。
息苦しいならその襟を無くしたっていい。周りの期待に囚われなくていい。自分の憧れに固執しないでいい。
そんな当たり前なことを気づかせてくれる映画が『はじまりのうた』です。