大切なことは映画から学んだ~『花束みたいな恋をした』で学ぶ歩み寄りの重要性~

この広告を、「よくある恋愛ものだ」と揶揄する人々にこそ観てほしい。
20代前半のサブカル好き、同棲経験のある男女を皆殺しにする傑作。『花束みたいな恋をした』の感想です。

『変わってしまった』麦と『変わりたくない』絹

東京・京王線の明大前駅で終電を逃したことから偶然に出会った 山音やまねむぎ (菅田将暉)と 八谷はちやきぬ (有村架純)。好きな音楽や映画が嘘みたいに一緒で、あっという間に恋に落ちた麦と絹は、大学を卒業してフリーターをしながら同棲を始める。近所にお気に入りのパン屋を見つけて、拾った猫に二人で名前をつけて、渋谷パルコが閉店しても、スマスマが最終回を迎えても、日々の現状維持を目標に二人は就職活動を続けるが…。まばゆいほどの煌めきと、胸を締め付ける切なさに包まれた〈恋する月日のすべて〉を、唯一無二の言葉で紡ぐ忘れられない5年間。最高峰のスタッフとキャストが贈る、不滅のラブストーリー誕生!
──これはきっと、私たちの物語。

▼序盤
麦&絹:サブカルチャーの好みから「じゃんけんでパーがグーに勝てるのはおかしい」という些末な思想まで、自分と”同じ存在”に惹かれ合う
▼中盤
麦:就職を機に時間や余裕がなくなり、サブカルチャーへの思いが薄れ仕事に没頭する
絹:就職後もサブカルチャーへの愛情は変わらず。歯科事務職(正社員)からイベント会社(派遣社員)に転職

このように、大雑把にみれば現実を知り『変わってしまった』麦と理想を求めて『変わりたくない』絹のすれ違い、モラトリアムから社会人=大人になる瞬間のどうしようもない別れを描いている作品なのです。
この解釈で終わるならば、今作はよくある恋愛ものと感じても致し方ないのですが、脚本家:坂元裕二が描いた世界はきっともっと残酷。

違いその1:『イラスト』を褒めてもらえた麦、『ラーメン』好きを隠す絹

運命的な出会い、理想の関係にみえた序盤時点の2人を『本質的趣味/消費者的趣味』の観点から分析してみましょう。

▼麦
本質的趣味:イラスト、ガスタンク
消費者的趣味:押井守、小説、漫画、お笑いなどサブカルチャー全般

▼絹
本質的趣味:ラーメン、ミイラ
消費者的趣味:押井守、小説、漫画、お笑いなどサブカルチャー全般

2人の好みが一致しているのは、実は消費者的趣味だけ。
本質的趣味に関する一致は、絹が麦に放った「イラストが好き」という言葉以外ありません。
ガスタンクの映画⇒絹は途中で眠ってしまう(麦曰く、一番面白いシーンの前)
ラーメン⇒『好きな言葉は替え玉無料』という絹の言葉にも無反応の麦。麦と付き合っている間一緒に食べている描写なし
ミイラ⇒楽しかったと言いつつもファミレス店員が現れた途端ミイラの資料を隠す麦。のちに「実は引いていた」と明言

ちなみに、告白のシーンでも麦はスマホの画面越しに絹を、絹は直接麦を見ています。
他にも、麦は米を食べているシーンが多く、絹はパンを食べているシーンが多かったり。
同じに見えて実は違う=本質を理解しあえていないことが随所に表現されていたのですね。

ここで議題となるのは、「消費者的趣味の一致だけでは足りないのか。」
サブカルチャー全般への愛が本質的趣味に昇華されれば幸せが続く可能性もあるでしょうが、残念ながらそうはなりません。

というのも、麦と絹はサブカルチャー全般に対してそこまで深い愛がないのです。
象徴的なのは告白直前にファミレスで「君たち音楽好きじゃないでしょ」と突っ込まれるシーン。
語りかけるおじさんはヘッドホン、指摘された後も2人がつけるのはイヤホンという対比。

他にも、お菓子を食べながら漫画を見たり、読みかけの本を開きっぱなしで机の上に置いたり、つまらない映画を途中でやめてSEXしたり……
きのこ帝国でもっとも有名な『クロノスタシス』になぞらえて缶ビールを飲みながらはしゃぐ姿は、あこがれと気恥ずかしさが共存する良シーンですね。やりたい。

もちろん、麦と絹の間にもサブカルチャーへの愛の差は大きく、それが就職後には顕著に表れています。
これは完全な持論なのですが、麦にとってサブカルチャー全般、つまり消費者的趣味は『代替可能』だったのではないでしょうか。

違いその2:『1つしか選べない』麦、『折り合いをつけられる』絹

▼麦
モラトリアム期:イラストレーターを志し、サブカルチャーを楽しむ余裕もある
挫折期:イラストレーターとして理想を追い続けることの難しさを知り、現実を選ぶほかないと考えるように
就職後:絹の母の言葉を会社の後輩に話したり、ビジネス書を読み、仕事への生きがいを見つける

▼絹
モラトリアム期:本質的趣味ラーメンを隠しながらも、消費者的趣味を共有できることを楽しむ
就職後:仕事をしながらも趣味を満喫。現実と理想が共存している

麦は挫折を経験し、選択肢がないと自ら可能性を断つ癖がある。
絹は強かな子だからこそ、コリドー街にも行けるし、カラオケ屋に見えないカラオケ屋にもついていく。
「ちゃんと楽しく生きたい」という想いがあるからこそ、楽しくないことにも折り合いをつけながら理想を追い続けられる人間です。

違いその3:『3ヶ月レス』でも平気な麦と『交際初日』から欲しがる絹

ある意味一番大きなすれ違いはSEXかもしれません。
有村架純の清廉潔白なイメージで伝わりにくいものの、序盤からその片鱗はあらわれています。

▼麦
付き合いたてでSEXづけの毎日、乗り気な絹とは対照的に、そろそろやめようと消極的
3ヶ月レスでも結婚の話題ができる

▼絹
出会って1日目の男=麦の家に泊まれる
楽しみにしていたはずの天竺鼠よりも1度デートしただけのイケメンと焼肉に行く
「こういうコミュニケーションは頻繁に行いたい方です」と交際初日から言い切る
「絹ちゃんまた朝帰り」と言われるほどの常習性も

1つしか選べない麦に浮気なんて発想はなく、折り合いをつけられる絹は交際序盤から「麦君が浮気するかもしれない」と口に出しています。
オダギリジョー演じる加持さんと浮気したかは明言されていませんが、ハンバーグ店『さわやか』に麦以外の誰かと行ったことは確定。
絹にとって重要なこと≒本質的だからこそ、この違いがなければもっと早く結婚に踏み出せていたのかな、なんて考えてしまいますね。

麦と絹に欠けていたのは、他者への歩み寄り

別れを決意した後のシーン、麦の発言にもあるように2人の関係性が“あと一歩”だったのは間違いありません。
社会人になることが決まった時点でプロポーズをしていれば。
仕事に没頭する(せざるを得ない環境にある)麦に対して、言い争い以外の形で絹が考えを伝えていれば。
絹の本質に対して麦がもっと興味を持っていれば。

そんな“歩み寄り”ができていれば、きっと終わりを迎えることもなかったのではないでしょうか。

終わりを迎える関係性、報われない恋に意味はあるのか

「始まりは終わりの始まり」
という作中の言葉通り、かくも難しい恋愛。
終わりを迎える出会いに意味なんてないのではないか……と想う日もあるけれど、きっとこの作品が伝えたいことは真逆だと思います。

その象徴が、『グーグルアースに写る2人の姿』。
麦にとって、グーグルアースは大学のクラスメイト全員にアピールするほど重要なもの。
絹にとって、形を変えても残り続けるもの=ミイラは重要なもの。

2人の幸せな姿はたしかに残っており、きのこ帝国の活動休止や今村夏子の芥川賞受賞のように
ふとした瞬間想いを馳せるようなつながりが消えることもない。
花束みたいに掛けがえのない思い出=花がいくつもあるから、人は前を向いて歩き続けることができる。
それこそが『花束みたいな恋をした』という作品の真意なのではないでしょうか。

“同じ”に憧れていた2人はもういない

偶然同じカフェに居合わせて、受け売りのイヤホン論を熱弁しながらも、現在の恋人からは共感を得られていない2人。
軽薄なサブカル好きとしての一面は変わらないものの、“違い”のある他者を受け入れられるようになったのかなと想像させるあのシーンが、どこまでも現実的なハッピーエンドで大好きです。